第三話 死人茸

2.抱擁


 赤い回転灯は緊急事態を知らせるためか、それとも野次馬を呼び集める為のものだろうか。

 野次馬のざわめきを耳にし、彼はそんなことを考えていた。

 (夕べの事……あれは現実だったのか?)

 ぼんやりと佇む男と対照的に、警察は横たわる白骨という現実にてきぱきと対処していた。

 「山さん……こりゃ変ですよ」 銀縁眼鏡の男が、困惑した様子でその場を指揮していた中年の刑事に声をかけた。

 「なにがだ?」

 「見てください、小さな骨まで欠けることなく残っている。 それに、骨が真っ白で形も崩れていない。 野ざらしで白骨化

したなら、骨はバラバラになるでしょう。 第一ここは街中ですよ」

 銀縁眼鏡の言うとおり、彼らが立っているのは小さな川の河川敷で、土手を登れば向こう側は住宅街。 今も土手の上には

野次馬がずらりと並んでいる。

 「遺体があれば、その日のうちに見つかりますよ」

 「とにかく、第一発見者の話を聞こうや」

 刑事は初老の男に向き直り、任意同行を求めた。


 「変な女? それが白骨に化けた? 」

 刑事は険しい顔で、何度も確認を取る。

 「確かですか?昨晩は大分飲んでいたんでしょう」

 「はぁ……私もあれが現実だったのか……自信がなくて」

 刑事は調書を取る手を止め、ペンで自分のこめかみをつつく。

 「ひょっとして……あの白骨の主が幽霊になって」

 刑事の表情一層険しくなった。

 「だとすると女装癖がある幽霊ですかね。 なにしろ、あの白骨は男性のものでしたから」

 「え?」

 男が解放されたのは、午後も大分遅くなってからだった。

 ”貴方を疑っている分けではありません。 あそこまできれいに骨を残すには、薬品か何かで処理しないと無理です。 だれかが

標本か何かの骨を持ってきて、いたずら目的で並べたのでしょう” 

 男はほっとすると同時に、彼の証言をまるで信じていない刑事の言葉に不愉快になった。

 憤然として警察署の玄関を出た。

 チリン……

 微かな金属音を耳にし、彼は立ち止まって辺りを見回す。 しかし何も見つけられず、小さく首を振って警察署を後にした。


 それから数週間、彼は女の事も白骨の事も忘れていた。 現実の死神が彼の彼に迫りつつあったのだから。

 医者に通うのは、ただ悪化していく現実を確認するためでしかなく、彼は日増しに追い詰められていくのを感じていた。

 そしてある日、それが起こった。 


 「うっ……」

 息苦しさに目が覚め、ベッド脇のスタンドに手を伸ばす。

 明かりがつくと同時に、スイッチが入ったように苦痛が体を締め付ける。

 「うぐっ……ぐっ……」

 うつぶせになって、こぶしを握り締めて苦痛に耐える。 と、みぞおちを突上げる痛みで息が止まりそうになった。

 ぐはっ……

 空気が鉛の様に重く感じられ、全身に力を込めねば呼吸すらままならない。

 『死』

 頭の中で、その文字が明滅する。

 さわり……さわり、さわり、さわり……

 誰かが背中をさすり、続いてみぞおちをさすってくれた。

 その誰かは、彼の痛いところが判るかの様に、的確に優しく手を動かしてくれる。

 雪に湯を注いだように、苦痛がみるみる薄れていく。

 「ごほっ……ふぅ……ふぅ……ふぅ。 あ、有難う。 助かった」

 礼の言葉を述べてから、彼は気がついた。 自分は一人身で、この部屋には他に誰もいない。

 「だ……誰だ……」

 手を突っ張ったまま、そっと視線を落としていく……彼の背後から回された白い手が、彼を抱きすくめるようにしてみぞおちをさすって

いる。

 カチカチカチカチ…… 歯を微かに鳴らしつつ、そっと背後を見る。

 「……!」

 あの女、それが彼の背中から抱きついていた。

 「ひっ!」

 恐怖に駆られ、彼は女を払いのけようと闇雲に手を振り、体制を崩して背中からベッドに倒れこむ。 結果として、彼は女に組み敷かれ

る格好で、まともに女と向き合ってしまった。

 あぅ……ああ…… 女の赤い唇が、笑みの形に歪む。

 (どこから!……まて、雰囲気はそっくりだがどこか違う?)

 心の片隅で、彼はそう思う。

 ふ……ぅぅぅぅぅぅ……

 女が口をすぼめて、息を吐きかけてきた。 生暖かい息が胸に辺り、彼を包み込むように流れてくる。

 (なんだ!?……女の……匂い……)

 鼻腔にそれを感じ、深々と息を吸い込んでしまう。

 (……あぁ……)

 生暖かい女の息が、全身にゆるゆると広がっていく。

 こわばっていた体から、ゆっくりと力が抜けていく。

 (……痛みが……ひいていく……)

 体のあちこちに、牙を突き立てていた痛みが、ゆるやかに引いていく。

 (……楽になってきた……)

 女の息には麻酔作用でもあるのだろうか、意識に薄いベールがかかった様に現実感が乏しい。

 あぁ……あぁ……

 女が鳴き、体をかぶせてきた。

 甘い香りのする柔らかい乳房が、かれの胸板をこすり、男性自身にぬるぬるした何かがこすり付けられる。

 「ああ……ああ……」

 さざなみの様にゆったりと、性欲のほてりが彼を満たし、彼を癒してくれる女への欲求が股間を心地よく押し上げていく。

 「もっと……」

 体の欲するままに、目の前の乳房に顔を埋め、乳首をそっと吸う。

 はかなげで、現実感に乏しい乳首から、不思議な味の乳が流れ出して彼の口腔を満たす。

 「う……」

 頭の中にねっとりとした液体が満ちていくような感覚、そして例えようのない幸福感で体が満たされる。

 男性器が熱っぽく疼き、ヌルヌルしたものをくすぐる。

 あふぅ……

 呼応するがごとくに女が鳴き。 熱い筒が彼の男根を包み込んだ。

 「はぅ……」

 少年の頃に戻ったかのような新鮮な快感が彼を襲い、性感が制御できない。

 あふぅ……あふぅ……

 女の熱い匂いの中で、彼は女のなすがままに翻弄される。

 女の乳が、女の体が、女の息が。 かれの痛みを、恐怖を消し去り、至福の夢にいざなう。

 「あ……あ……あぁぁぁ……」

 女の中に、彼は熱い精を注ぎ込む。

 その都度、女は体をくねらせて喜びを示し、その体の感触が次第に確かなものとなっていくようであった。


 「あ……」

 男が文字通り精性も根も尽き果て、意識を失う頃になって、ようやく女は男を解放する。

 深い暗黒に意識が沈む際に、彼は女の唇が満足の笑みを浮かべるのを見たような気がした。
 
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